僕秩はてな

才能について考えたりしています。

木を隠すなら森

 

 先日、僕がネット配信を手伝ったお仕事でのこと。

 

いろいろな有名出演者がいたのだが、有名女性タレントさんがトーク中に「私も、もう36歳」と言っているのを聞いて驚いた。

 

他人から見られることの多い芸能人は一般より若くみえることが多いが、それにしても36歳と言ったら、白髪の一本くらいあってもおかしくない年齢だ。

 

驚きながらイベント終了後に楽屋ですれちがって、もう一度驚いた。

 

「あ、テレビではわからないけど普通に白髪あるな…」

(誰なのかは言及しないのでお察しください)

 

まぁそうだろう。それでこそ自然な36歳。

年齢を詐称していないという裏付けでもある。

 

「ただ本人が黒髪キャラだから、少しの白髪でも目立ってしまってメンテナンスが大変だったりするんだろうな…」

 

そんなことを考えながら思い出したのは、僕自身の白髪である。

 

 

僕も、先月38歳になった。

自分が初老に近い年齢になっていること自体が驚きだし、IT系の目を酷使する職業だったらそろそろ老眼が始まってもおかしくない。

 

そして、僕自身も生まれてから一度も色やパーマをかけたことのない黒髪だが、白髪があるのである。

 

僕は鏡を全く見ないで生きているので気づくのが遅かった可能性があるが、初めて気づいたのは36歳の頃。ちょうどあの彼女たちと同じ年だ。

 

そして38歳の今、よく分かる場所に5本くらいだろうか?白髪がある。

 

別に隠す気もないが、先ほどの彼女たちもそうだったように、大量の黒髪の中にほんの少しだけ白髪があるから目立つのだろう。

 

それなら、いっその事「髪の毛の半数くらい」が白髪になってしまえばいい。

人間の髪の毛は約10万本というから、昨日のアクセス数の話のように

 

5→50000本

 

 と短期間で爆発的増加が起きてくれれば、銀髪っぽいキャラとして成立するのではないか。だが、願っても2年前から一向に増える雰囲気のない白髪。

 

こんなに増えるのが遅いのなら、「いっそ全部白髪に染めてしまった方が早い」。そう思って思い出したのが、僕の周りで「30代から突如金髪になった人たち」のことだ。

 

少なくとも3人はいる彼らは、

 

・無くすことができないのならいっそ10000倍に増やしてしまおう

 

という今の僕と同じ発想で突然金髪になったのかもしれない。木を隠すなら森というやつだ。さすが人生の先輩は違う。

 

僕は元来負けず嫌いなのもあり、それがわかると「彼らと同じレールに乗りたくない」という気持ちが高まってくる。

 

だが、調べても「強いストレスを受ける」「喫煙すると4倍の白髪」など、全く実行できそうにない白髪の増加手にクニック。

 

そんなわけで、もしストレスをかけず手軽に白髪を増やす方法をご存じの方は、ぜひ教えて頂ければと思います。

 

よろしくお願いします。

 

(なんだこの結論…)

 

 

ループしない世界

 

先日書いたように、このブログの6/3のアクセス数は5だった。

 

何度か「ブクマついてないかな~」と自分の記事を見に行った覚えがあるので、この5回はおそらく全部僕のアクセスだ。実質1である。

 

ところが昨日、大きな異変が起きた。

6/6の夜中に書いた伊藤勝子さんの記事が当たったようで、はてなのTOPページに大々的に取り上げられたり、

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ソーシャルで拡散したりしたため、アクセスが爆増したのだ。

 

このブログは6/8の21時に書いているが、GoogleAnalyticsの実測値で現在のアクセス数は47600。24時までに50000くらいになりそうな勢いだ。

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さらに、伊藤勝子さんの記事を見た朝日新聞さんから取材の問い合わせがあり、関連媒体のニュースに「スマホ入力」の情報を提供することになった。先日まで一人でページを何度も再読込していたのと比べて、まさかと思うほどのインフレ。

 

 

しかしこれ、実は僕にとって既視感がある現象だった。

 

 

 

僕が初めてこのアクセス爆発を体験したのは今でも忘れない、2002年12月10日

 

当時の僕は「僕の見た秩序。」というサイトを500日以上も毎日更新していたのだが、一日のアクセス数はたったの35。少ない友人と親だけが見ているサイトだった。

 

ところが、2002年の12月9日に書いた「タマちゃん進化論」というコラムが当たり、

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翌日に約30000人が記事を読んでくれたのである。

 

それを書いた時、僕は築40年を超えるであろう小さなボロアパートにいた。寒い冬だった。留年中の大学にも行かず こたつに入ったまま就寝。

寒さで起きてパソコンを開き、信じられない数値を見た時の驚きは今でも鮮やかに覚えている。

 

なんというか、世界が開いた気がしたんだった。

 

500日も更新し続けて全然反応のなかった僕のサイト。

いくらやっても無力だという絶望や、今後一生どうにもならずに終わる可能性は少なからずあった。当時の日本は24時間ネットに接続できる環境すら普及していなかったので、周囲の理解もまったくなかった。

 

だが、それ以上に大学卒業の見込みもなく、就活もせず、仕送りはなく、貯金も減っていく僕は「これ以上落ちる訳にはいかない」という極限状況下にあった。

 

そんな時、「アザラシとプボブサップが似ている」というバカな記事が当たったことで、

 

絶望的だと思えた

世界と僕との間にはまだ「突破口」がある。

この世界はまだ、工夫次第で干渉可能である。

 

 という基本的な「秩序(order)」に僕は気づいたのだ。

バカなだけの記事に予期せず教えられた真実。この時に見えた悟りのような気持ちを後に僕は、「僕の見た秩序。」と呼ぶようになった。

 

 

 

あれから15年。

数えきれないほどの良いことや、少しの悪いこと。本当にいろいろなことがあった。 

 

そして今、アクセス画面を見て驚いている僕の気持ちは、あの冬のボロアパートと酷似している。ここまでの類似は、もはやループしていると言ってもいい。

 

だが、ループものの鉄則は知っている。

前のループと同じ行動を取らない」ことだ。

 

 

前のループでは「バカ記事に人生の一部を賭ける決意」をして、人生からいろいろな物を切り捨てるかわりに、名誉や人脈や経験など、本当にいろいろな物を得た。いわゆる等価交換である。

 

今回のループは、前のループではできなかったことに挑戦したい。

・エモいこと

・小賢しいこと

・個人的なこと

・人生のこと

・才能を眠らせている人が読んだら才能に目覚めるようなこと

 

 

 

 

年を取ったと思うかい?

 

 

年を取ったんだよ。

 

 

別に毎日更新なんてしない。

アクセス数を見て書きたいことを止めたりもしない。

 

 

そしていつか、迷った時は思い出そう。

こんな記事を書いた今日の空は、たとえ世界がループしても繰り返せないくらい、深く青く澄んでたな、って。

 

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ループする世界

 

22時半過ぎ、自宅に帰る途中のこと。

 

いつも通るビル前に怪しい人影が見えたので、警戒しながら近づいたらカップルだった。やけに密着している。

 

とりあえず不審者じゃなくてよかった…

と安堵しながら、なるべく見ないように通り過ぎてその日は終わった。

 


次の日19時、自宅に帰る途中のこと。

歩きながら違和感を感じてすぐ気づいた。同じ場所に同じカップルがいたのである。

 

昨日もこの場所で同じように驚いたな…」と思いつつ、「まぁ2日連続ということもあるだろう」と素通り。若干もやもやしながらもその日は終わった。

 


土日を挟み翌週。

21時ころに帰宅している僕の前に、当然のように彼らは現れた。

 

まるで世界がループしているようだ…

目の前に展開する、何度も見たカップルの風景。

「同じ場所で同じ人影に何度も驚いている」という事実にも驚く僕。これが噂に聞く「デジャヴ」というやつなのか。

 

そもそも、僕の帰宅時間はかなりまちまちなのに、いつでも同じ暗がりに同じカップルが出現するのがすごい。ゲームのNPCではあるまいし、まさか19時~22時まで毎日ずっと同じ場所で立ち続けているのだろうか?

 

だとしたらすごい体力だが、彼らにだって予定があるだろう。家や公園ならともかく、毎日4時間近くも同じ暗がりで立ち続けることが可能なのだろうか?

もしかするとカップルは幻覚で、疑うべきは僕の脳なのか…?

 

 

次の日、時間は20時半くらい。
もしかしたら僕が幻覚を見ている可能性もあるのかもしれない」という逆転の発想で、該当地区に近づく1分ほど前からスマホのカメラを起動して、歩きながら帰り道を撮影してみた。

 

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普通にいた。

 

先週から何度ここを通っても必ず存在するカップル。

とりあえず、幻覚ではなかった。

 

 

2015年に「オール・ユー・ニード・イズ・キル」という 死ぬたびに人生がループする物語があったが、まさにそれのようだった。4ループ目で僕はスマホを事前準備し、カップルの出現にまた驚かないよう、未来に備えることが出来たのだ。

 

ただ、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は宇宙人と闘う殺戮の話だったから「キル」という物騒な単語を使っているが、今回の時間ループに名前をつけるとしたら、カップルなので「ラブ」とでもするのが適切だろうか。

 


オール・ユー・ニード・イズ・ラブ

 


予期せずビートルズの原題(1967年)にループ回帰している。

 


「なんかもう、世界はいろいろとループしているな…」

 


そんな思いを新たにした一日だった。

 

伊藤勝子( @itoukatsuko )さんの文字入力を考えてみた

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75歳のおばあさん、伊藤勝子@itoukatsuko )さんのツイートが大人気だ。数日前に見つけた時は2600ほどだったフォロワーが、現時点でなんと47000を超えている。

 

なんと言っても面白いのは、お婆さんならではの入力ミス。

 

どうも文字入力が苦手のようで

 

・フォロワー
フオロウワウー

スマホ
スマーホ

・ユーチューブ
ユーチユーブス

ツイッター
ツイーッター

 

などの斬新な表記が続々登場。

とても癒されると人気を集めているのだ。

 

「コンピュータでうまく文字が入力できない」という現象には僕も過去に大きな恩恵を受けた。

ゆかいな誤変換。」という本を出したり(ビックリするくらい売れた)

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変換プログラムATOKのCMに協力したり。

必然的に、他の人に比べると文字入力について考えてきた時間はかなり長い。そんな変換ミスマニアとしては、少し気になる点もある。

 

伊藤さんの文字入力法についてである。

 

 

僕の扱っていた「誤変換」は古いパソコンとガラケーで頻繁に発生するコンテンツだった。ところが、スマホ以降は文字を途中まで打つとその結果を「予測変換」してくれるようになったので、そもそも誤入力が起こらなくなってしまったのだ。

 

例えば先程のこれ。

 

フォロワー
フオロウワウー

 

 

伊藤勝子さんのツイートのクライアント(利用端末)を見るとTwitter for iPhoneとなっているので、iPhoneを使っていることがわかるが、一度も「フォロワー」という文字を入力したことのない初期状態のiPhoneで「ふおろ」(小さい「ぉ」ではなく敢えて大きい「お」)と打ち込んでみたものがこれだ。

 

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予測変換に正解が出てしまっている。

 

フォロワーと打ちたければ、「ふろ…」と入力している途中に、どうしても変換候補に「フォロワー」が登場してしまうのだ。小さい「ぉ」をわざと「お」と打っても結果は同じ。賢すぎるiPhoneが自動補正してしまい、「フォロワー」という正しい表記になってしまうのである。

 

 

では逆に、どうやるとiPhoneで「フオロウワウー」という表記を打つことができるのか試してみると、かなりの難度だった。

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 上の図を見るとわかるように、「ふおろうわうー」と伸ばす音まで間違いなく打ち込むのは絶対条件。


打ち込んだだけではまだ変換候補に出てこないため、∧をタップして、もっと多くの変換候補を表示。

 

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そこで出て来る、たくさんの変な候補から間違えずに「フオロウワウー」を選んだ時、初めてiPhone「フオロウワウー」という文字を打ち込むことができる。

 

正直、かなりの難度だ。

 
変換プログラムは一度変換をすればその結果を記憶してくれるので、二回目以降は「フオロウワウー」を打ち込むことは簡単だろう。

 

だが、伊藤勝子さんの場合は「フオロウワウー」「フオロウワー」「フオロウ」と頻繁に表記がブレるのがすごい。要するに、フオロウワウー」をサジェストしてくれる賢い予測変換を無視し、毎回 をタップして別の変換候補を選んでいるのである。

 

 

また、5/17段階では「ツイッター」と書けていたのだが、

 

5/25には「ツイツター」

 

6/1には「ツイーッター」

 

と、時が経つにつれ

どんどん打ち込みが難しく、複雑なものに変化しているのもすごい。

誤字が過激になるほどRTやお気に入り数は爆発的に増加する。いわゆる等価交換だ。

 

 

世の中には様々な個性を持った人がいる。

もしかしたら伊藤勝子さんも手に不自由があり口など、僕らが想像もつかない極限状況でスマホを打っているのかもしれない。短期記憶がない場合だって考えられる。本気で打ち込んでこういう状況になることは充分あり得るだろう。

 

だが、変換ミスを15年以上追い続けてきた僕から見ると、かなり難易度の高い伊藤さんの変換。

 

変換に関わってきた人間の純粋な研究興味として、「どうやったらああいう入力ができるのか?」という秘密は、もしチャンスがあればぜひご本人に聞いてみたいな…と思います。

 

数万人見ている時に文章を丸める方法

 

このブログを書き始めて一週間が経ったらしい。

 

はじめの記事に「ためしに一週間くらい書いてみます」と書いたのでこれで終わってもいいのだが、発見もあった。ブログを書くのが面白かったのだ

 

僕は2002年に僕の見た秩序。というサイトが当たってしまって以来、15年もの間「ずっと数万人が見ている状態」で文章を書くことに慣れていたのだが、実はこれには様々な制約があった。

 

数万人が見ていると、例えば「卵は白い」と書いた時に、

・白くない卵を知らないとは無知ですね

・白の定義をはっきりさせて論じて下さい

・私の卵は白くありません

・白だと言われる卵の気持ちにもなってみて下さい

というようなコメントがたくさん届くようになるのである。

「こし餡」を例にもう少し具体的に書かれたツイートを紹介するとこんな様子。

 

 

過激なジャンルなら読者が1000人くらい、僕秩のような全く攻撃性のないジャンルでも読者が約5000人を超えだすと、必ずこのようなコメントは届くようになる。

テキストサイトの時代からいろいろな人気サイトさんの話を聞いたが、概ね確率は一定の値で決まっているようである。おそらく人類の脳の構造の確率問題なのだろう。

 

 

 僕はもともと平和的な人間で、文章で事を荒立てたいわけではないので、できることならそういったコメントを最小化したい。

 

そうなると、読者の反応を最大に穏便化するためには

・なるべく断定をしない

・趣味趣向を強く押し出しすぎない

・スポーツや政治など、明確な答えがない話題を避ける

・ギャグにする

などの、さみしい処置が必要になるのである。

 

 これには15年で覚えてきたおびただしい数のテクニックがあるが、今日は僕の最近のツイートを例に出して説明しよう。

 

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例えば2週間ほど前に約800回RTされ、12万人くらいが見たこのツイート。

 

 

この資料を初めてみた時、僕は「すごい!」とポジティブな感想を持ち、「すばらしい資料!」というポジティブな感想を添えてツイートしようとした。

 

しかし、落ち着いて考えよう。

世の中にはこの資料にネガティブな反応をする人もいるはずだ。「役所の仕事は内容にかかわらず全部嫌い」という人もいるし、10万人いれば「親を経済産業省に殺された」ような人すらいるかもしれない。そういう人たちにとって僕の「すばらしい!」というツイートは目障りになるため、心無いコメントが届くようになるのである。

 

で、

それを避けるために僕が選んでツイートした言葉がこれだ。

 

 「破壊力高い。これを公開できたのすごいな…。」  

 

 

ポイントは、「ポジなのかネガなのか、どちらにも取れる」という部分である。

 

「すばらしい!」をやめて「破壊力高い」にすると、ネガポジの判断は視聴者に委ねられる。僕は心の中で「破壊力高いすばらしさ!」と思っているので、嘘をついているわけでもない。

 

こうすると、面白いことに両方の返信が届くようになるのである。

 

例えばこれ。 

 

「破壊力高い」をネガと捉えて「まぁまぁ、ヨシナガさん。それほどダメな資料ではないですよ」という優しいコメントを僕にくれている。

 

 

こちらはどうだろう。 

 

この方は、純粋に「破壊力高い」をポジと捉えてコメントしていると言えるだろう。

 

このように、自分の内から湧きだす「書きたい言葉」を一歩引いて押さえ、嘘にならない範囲で知恵を使って無難な言葉に書き換えることでネガコメも届きにくくなり、ポジの人もネガの人も反応しやすい、数値を最大化したツイートになるのである。ブログなら、当然人気になる。

 

 

 

・・・なるのであるが。

それはもう15年間もやってきた。多くの数値を獲得するかわりに僕個人の主張が薄まり、コンテンツとして「弱い」ものになっていることも知っている。

いわゆる等価交換というやつだ。

「ヨシナガのツイートや文章はなぜか多くの人が見ているが、内容が薄くてつまらない」と反感を持つ人も多いだろう。

 

 

 

 

と、ここにきて冒頭のブログの話だ。

このブログは全く告知しなかったのだが、はてなブログを開設しただけでは見知らぬ誰かに告知が行われることはまったくないらしく、本当に誰も見ていない。

例えば、6/3のアクセス数は5だった。全て僕自身だ(笑)

 

 

思うままに文章を書くのはこんなにも楽で面白いものだったのか。

長く忘れていた、自らのエゴを押し出したもの書き活動。

 

2001年からサイトを12年間も連続更新し、アルファブロガーアワードなどの名誉な賞を頂いたと人間は思えないセリフだが、

「軽い気持ちでブログを書いてみたら、なんか面白かった」

ので、もう少し、飽きるまで続けてみたいと思います。

 

よろしくお願いします。

(誰も見てないけど)

 

すごい「たつき」の登場

 

僕の姓は「ヨシナガ(吉永)」、名前は「たつき(龍樹)」という。

 

たつき」は生まれてからずっと「男の子の名前人気ランキング」には入ってこなかった名前だし、そもそも生活の中でほとんど同じ名前の人物に出会うことがない、そこそこレアな名前である。みなさんの周りにも「たつき」はほとんどいないのではないだろうか?

 

ネットで活動するようになってからは、エゴサーチで自分の名前を検索したりすることもあるのだが、長年「たつき」で引っかかる人物は非常に少なかった。

 

ところがここ数年、日本の「たつき業界(狭い)」は劇的な変化を遂げているのである。

 

初めの異変はスケートの町田 樹(まちだ たつき)さんが現れたことだ。

2014年のソチオリンピックで5位に入るなど、時々ニュースで耳にするようになっていたのだが、ソチでは羽生結弦選手が圧倒的な目立ち方をしていたのもあり、たつき選手のメディア露出はそこまで多くなかった。

 

その後、突然現役を引退したことでたつき選手のメディア露出はほとんどなくなったのだが、次に出てきた「たつき」はすごかった。

 

2016年に「ファイアパンチ」というマンガをスタートした藤本タツキさんである。

 

ファイアパンチはエログロ描写が作家性でもあるため、人を選ぶかもしれないが非常に素晴らしいマンガだ。

 

中でも

・ネットでも大きく話題になった第一話のインパク

・その後の低迷

・からのトガタ出現などのメタ的な方向修正

 がものすごく高いレベルで行われており、勘で描いていない、秀才型の凄まじさを感じる作品である。

 

「すごいタツキが出てきた…」

 

そう思った2016年だったが、2017年初頭にさらに驚くことが起きた。

 

けものフレンズ」という作品が大ヒットし、その作者が「たつき監督」という名前だったのである。まさかの名字なし名前だけ。まさに「たつき中のたつき」という貫禄を感じる。

 

 けものフレンズはネット上で信じらないほどの爆発的な流行をし、ニコニコ生放送でのコメント数記録を塗り替えるなど、放映が終了した今も話題に事欠かない。

 

 

30年以上、ほとんど競合のいない「たつき業界(狭い)」であったが、ここ数年の群雄割拠っぷりはすごい。これはもはや「たつき戦国時代」と言ってもいいのかもしれない。(狭い)

 

このペースで行くと、2018年政治家に「たつき」が登場、2019年ジャニーズに新星として「たつき」が登場、2020年、人口の1%が「たつき」に、など更なるインフレが起きてもおかしくない。

 

そんな中、僕も一人の「たつき」として、世の「たつき」のため、たつき業界の発展に貢献して行きたいと気持ちを改める毎日である。

 

(狭い)

 

時代と才能のゆくえ

僕より少し上の時代、本当に才能がある人はゲーム業界にたくさん入った印象がある。

 

1980年台のファミコンから、子どもたちはゲームの熱狂の中で育ち、大人には「ゲームなんてくだらない」と蔑まれながらも、本当はそれが世界を変え得るとわかっていたからだ。

 

そして僕らの世代、本当に才能がある人はIT業界にたくさん入った印象がある。

 

1990年台のインターネットの熱狂に触れ、大人には「インターネットは恐ろしい」なんて蔑まれながらも、本当はそれが世界を変え得るとわかっていたからだ。

 

 

では僕の知る以前、才能がある人はどんな業界に行っていたのか?

 

おそらく、1960~1970年台はメーカー(SONYや松下など)に入り世界を制し、

朝日新聞1970.11.02朝刊19面「現代っ子の「なりたい職業」は…」
男の子のベストテン 1位 エンジニア 

もっと前の高度に日本が変わっている時代は商社だったりエネルギーだったりしたのかもしれない。

 

そして、戦前はやはり軍人が人気だったらしい。

中学校・実業学校・女学校生の「希望職業」(1933年)

 

 

いずれの時代も、トレンドは必ず変わる。

 

人に理解されなくても先行して先に進んだ「先行者」だけが大きな利益を手にし、「一般の人々が流れ込んできた時、時代はもう次に移っている」ということが起きるのである。

 

2015年以降、「なりたい職業ランキング」にYoutuberが入って来たりしているが、現在の本当に才能がある若者が目指す職業は何だろう。

ロボットか、AI、それとも別の何かだろうか?

 

 

そう考えていた時、もう一つの可能性を感じた。

悲しいことではあるが、現代の本当に才能がある若者はロボット、AI、どんなジャンルを選ぶにしても「日本を脱出する」という追加の選択肢がかなり一般的になっている気がするのである。

 

終身雇用は崩壊し、高齢化社会も解決の目処なし。

人々が「どの業界に入ればいのか?」だけを考えれば良かった時代は終わり、もう一段階上の階層、「そもそもこの国でいいのか?」ということも含めて考えなければいけない時代になっているかもしれないのだ。

 

僕の周囲でも少なくとも8名、本当に才能があり時代に敏感な人達は、日本を離れて海外で生きることをあっさり決めてしまった。

 

「彼らこそが先行して大きな利益を手にする先行者なのかもしれないな…。」

 

間違いなく転換期の今、そんなことを考えたりしています。

 

最新作=代表作の難しさ

 

ものを作っていると、当たることも外れることも、そして時には信じられないくらい大当たりすることもある。

 

他人に見せることを前提にしていないアウトサイダーアートを除くと、多くの人が人に評価される大当たりを目指してものづくりの勝負を続けているわけだが、今日は一度当たったあとの話。

 

 

一度大ヒットとなる「代表作」ができると、その後の人生は一見楽になるように見える。

例えば作曲家なら名前が売れ、「○○(代表作)のような曲を作ってください」という依頼がたくさん来るようになるし、初対面の相手が「○○の作者さんですか!」と自分を知っている状態も多くなる。

 

著名になり、収入が増え、人間関係が変わり、いいことづくめに見えるが、問題はそこで人生が終わるわけではなく、その後も「ものづくり人生」は続くということ。

代表作以後の戦いの中で、過去の大当たりが徐々に呪いのように作用する様子を、僕は本当にたくさん見てきた。

 

 

以前の大当たりに対し、次の作品を更なる大ヒットで塗り替えられれば話は簡単だが、世の中はそれほど易しくはない。

代表作の当たりが大きければ大きいほど、「過去の自分を超えられない現在の自分」という絶望的な状況のフタが開くのである。

 

流行語大賞を取ったお笑い芸人、一度だけオリコン1位を取った音楽家、一度だけ100万部売れたマンガ家、一度だけスタンプがバカ売れしたイラストレーター、過去にテキストサイ ブログが大ヒットしたブロガー、etc...

 

次の作品も、次の次の作品も、いくらやっても前のヒットを超えられない。

過去を超えられない状況が続くたび、自信を失い沈んでいく心。

もがきながら戦い続けても10年や20年はあっという間に過ぎ、肉体は老化が始まる。いつの間にか「20年前にあのヒットを出した人ですか!懐かしい!」と、半ば憐れむような評価に変化する周囲。

 

一度手にした栄光が大きければ大きいほど、それを超えることは不可能問題に近づき、自身の自信喪失や他人からの憐れみは増す。いわるゆる等価交換なのだろう。

 

 

成功さえしなければ、こんなに沈むこともなかっただろう。

だけど、成功するためにものを作っていたのではないのか?

 

 この呪いを受けない方法は2つある。

ひとつは初めから物を作らないこと。

そしてもう一つは

 

最新作=代表作となるように戦い続けること

 

である。

事実、10年単位でトップを走り続ける天才は世の中にいる。

 

だが、人間誰しも限界がある。次はより高く、次の次はさらに高くというインフレはいつかどこかで 必ず破綻するのではないか?

 

ものづくりは、そんな バッドエンドしか無い分岐ゲームのようなものだって事はわかっているけれど。

 

それでも、

最新作=代表作になればいいな、と愚かな夢を見ながら、僕は明日も物を作って生きていきたいと思う。

 

「ピンポン」と才能と幸福論

 

僕は松本大洋さんの「ピンポン」という作品が大好きだ。

 

漫画原作はもちろんだが、実写映画は100回以上見て全セリフを暗記したし、2014年に放送された湯浅監督のアニメも素晴らしかった。

 

数十回繰り返し見た時点で「なぜこんなに惹かれるのか?」を自分なりに分析したのだが、そこで考えて出た答えは

 

「ピンポンは才能論だった」

 

ということだ。

それだけではわかりにくいのでどういうことか説明しよう。

 

 

 

ピンポンには5人の才能ある若者が登場するが、この5人の才能を順に並べると

 

才能多い

・ペコ

・スマイル

・ドラゴン

・チャイナ

・アクマ

才能少ない

 

という順番になる。

高校生で一番強いドラゴンとスマイルは順番が逆では?と思う人もいるかもしれないが、劇中ドラゴンがスマイルの才能に嫉妬していること、漫画版の最終回で「君なら優れた選手になれたろうに」とスマイルの引退を惜しんでいることなどからスマイルの順位を上とした。

 

そして、ピンポンが才能論を示すのはここからである。

先ほどの才能順の横に、卓球を諦めたかどうか?(漫画版準拠)を付けてみる。

 

才能多い

・ペコ…現役

・スマイル…引退

・ドラゴン…現役

・チャイナ…引退

・アクマ…引退

才能少ない

 

 

そして、ここに最終回時点で本人がしあわせかどうか?を付け加えてみよう。

 

 

才能多い

・ペコ…現役…幸せ(ドイツリーグへ)

・スマイル…引退幸せ(教師へ)

・ドラゴン…現役…不幸(代表落選)

・チャイナ…引退幸せ(コーチへ)

・アクマ…引退幸せ(第一子誕生)

才能少ない

 

 

わかるだろうか?

最終回時点で不幸なのは高校最強を誇ったキャラ、ドラゴンだけなのである。

 

これが指し示している教訓はおそらくこうだ。

 

 

「激しい競争の社会では、本当の天才一人だけが生き残り、あとは全員死ぬ。だから才能がない人は一刻も早く勝負を諦めた順に幸せになる」

 

 

残酷すぎるが、あまりにも現実味のある結論。

 

事実、一番才能が乏しいアクマは真っ先に勝負を諦め、卓球から逃げた。

逃げたから不幸になるわけではなく、真っ先に結婚&第一子誕生が決まり、誰よりも幸福になる様子が描かれている。卓球では負けたが人生では救われたのである。

 

逆に中途半端に才能があったドラゴンは悲しい。

自分では勝てない天才ペコを目の当たりにしながら中途半端に卓球にしがみついているため、代表落選の屈辱を味わい、平凡に落ちていく自分に絶望する悲しい様子だけが最終回に描かれる。

 

ポイントは、「才能と幸福度は関係ない」というところで、凡人の僕らにも救いがあるオチではあるのだが、その幸福は「人生をかけてきた勝負を降りる」という大きすぎる代償と引き換えにしか手にできないのだ。いわゆる等価交換である。

 

 

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僕は、最近ではLINEスタンプなど、若干ものづくりをするので、まだ勝負の世界にかろうじて踏みとどまっているつもりでいるが、1位が取れる才能ではない。

 

ヒットしたスタンプのエヅプトくんは4位、かなり売れた「肉くん」も2位が限界だった。どうしても1位が取れない。世の中に僕よりもすごい天才は間違いなくいる。

 

要するに僕の才能はピンポンの劇中人物ならチャイナ、もしくはアクマという能力だったのである。

 チャイナもアクマも、一般人から比べればだいぶ卓球ができる。100人に一人の才能と言ってもいいだろう。だが、上には上がいる。

 

 

ピンポンを見るたび、「僕も同じだ…」と強く思う。

そしてピンポンは誘惑する。「勝負を捨てて降りれば幸福にしてやる」と。

 

 

 世界は残酷だ。

人間の才能には生まれながらに絶望的な差があるし、本当のピンチになった時、ヒーローなんて絶対に来ない。

 

 

それでも戦いを続けるのか?

 

 

そんな鋭い刃物を突きつけてくれるピンポンが、僕は大好きだ。

 

エムグラム診断結果が同じ人がいた

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少し前、スパム的に大流行したエムグラム診断

 

僕も周りの人とやりながら結果を見比べたりして楽しんだ。

 

エムグラムは血液型占いのようなランダム性の高い運試しと言うよりは、就職の時に使ったSPIや世界的に有名になったストレングスファインダーに近く、大量のサンプルから統計的に結果を割り当てているフシがあり、実際「当たっているなぁ」と思う結果も多かった。

 

100以上ある質問数とある程度 納得感のある結果が出ることが、ここまで流行した理由なのだろう。

 

そんな中、驚くべきことが起きた。

 

 

僕とほぼ完全一致する診断結果を持つ人が身近にいたのである。

 

 

 

 

知人女性の診断結果なのだが、これを僕のものと比較した画像がこれだ。

 

 

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ほぼ同じ。

 

「意思」の部分に若干の差異があるものの、解説の日本語部分に至っては一文字違わず完全に同じだった。

 

そして、さらに驚くべきなのは共通の知人に聞くと「僕と彼女の性格は全く違う(ようにみえる)」という事実である。

 

僕…コツコツ努力型

彼女…天才型

 

僕…引きこもり気味

彼女…高いコミュ力

 

僕…潔癖症ではない

彼女…潔癖症気味

 

 など。とにかく全く違う。

 

 

「じゃあこんな診断信じなければいいじゃん」と、言われればそれまでだが、無理矢理の後づけで思い当たる節を考えると、実は一つだけ思い当たる節がある。

小学生の頃の僕は、現在の彼女とかなり似ていた可能性が高いのである。

 

僕は中学の時に自分の才能限界を感じてから、自分の才能以上のアウトプットをするためにかなりドーピング的な道に踏み込んだと自覚している。

勝つためであれば本意ではない努力もするし、研究もする、嫌いなものも見るし、実力以上の結果が出せるなら…と自分の戦い方までも調整をしてきた。

 

もともとは天真爛漫だった幼少期の自分と、ある時期明確に別れを告げて生きてきたのである。(中二病的な言葉で言う"闇堕ち"というやつだと思う

 

もしも僕が中二の時に謎の覚醒をしていなければ、彼女のような生き方をして、彼女のような大人になっていたのかもな…。

 

そんなパラレルワールドを感じた体験でした。

 

みなさんも、自分とそっくりな診断結果を持つ人を見つけ出してみると、「もし自分が別の人生を歩んでいたら…?」という別の未来を感じられて面白いかもしれません。

 

 

 

※この診断、双子の結果とかはどうなるんだろうなぁ…。

 

 

 

天才と便漏れ

 

僕は特殊能力者の話を聞くのが大好きだ。
そのため、会話している相手に「特殊能力者っぽい雰囲気」を感じると決まって聞く質問がある。

「ところで、あなたはうんこが漏れますか?」

というものだ。

 


唐突な質問に思えるかもしれないが、僕が今まで会った1000~数千人という小サンプルの中では、天才的な芸術力、コミュニケーション力、運などを持つ人は「うんこを漏らしている確率が一般より高い」ように思えたのである。

過去の偉人ではフランスのルイ14世が会議中にずっとうんこを漏らしていたと聞くが、そこまで極端ではなくても、うんこが漏れる特殊能力者は多い。

理由を無理やりこじつけるのなら、

 

  • 創作などの集中力が常人より強く、トイレにいくのを忘れる
  • 慢性的に胃腸が弱く、爆弾を抱えながら生きているために繊細な能力が身についた
  • そもそも「うんこを漏らしてはいけない」という一般常識が通用しないため、常識破りの成功をおさめることができる


と、いうように便漏れの天才を擁護する見方もできる。彼らはうんこと引き換えに才能を手にしていたかもしれないのだ。いわゆる「等価交換」である。

 



ところが、だ。
先日恐るべきニュースを発見した。

 

mainichi.jp


なんと、毎日新聞の記事によると現代成人の5人に1人が便漏れをしていたのである。


僕の会ってきた便漏れの天才はみな「数千人に一人」と言える素晴らしい才能を持っていたが、人類全体の5人に1人が便漏れとなると便漏れの絶対数が多すぎて話が変わってくる。

天才も一般人と同じく「5人に1人は便漏れをしていただけ」なのではないか。
ベン図で表すとこのような具合だ。

 

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天才の便漏れ率が「5人に1人」を超えていなければ、便漏れと才能は何の関係もなかったことになる。何が等価交換か。


僕は便漏れと天才の相関関係に固執するあまり、ところ構わず「うんこは漏れますか?」と聞いて回っていたが、毎日新聞の記事から導き出される事実はおそらく一つ。



僕が知り合って感動していた「便漏れ人」のほとんどは、ただ便が漏れるだけの普通の人だった。


ということだ。

 


天才に会いたくて、天才を追い求め、ようやく到達した局地とも言える「便漏れの人々」を探す旅。

例えそれが偽りの道だったとしても、失った時は戻らず明日は来る。

こんなにも残酷な世界で、出会うことができた便漏れの人々と共に、僕は次の極地を目指したい。

 


真の才能を求めて。

 

僕の見た秩序。のヨシナガです。

こんばんは。>挨拶

 

久しぶりにブログを書こうと思ったのですが、LINE BLOGにログインできないという悲しすぎる事態に陥ったため、試しにはてなブログを作りました。

LINEの方では貴重な公式バッヂまでもらっていたのに、放置しすぎた…

 

僕が人生でよく考えている「才能について」など、ためしに1週間くらいブログを書いてみようと思います。

 

1週間続くかどうかわかりませんが、よろしくお願いします。