最新作=代表作の難しさ
ものを作っていると、当たることも外れることも、そして時には信じられないくらい大当たりすることもある。
他人に見せることを前提にしていないアウトサイダーアートを除くと、多くの人が人に評価される大当たりを目指してものづくりの勝負を続けているわけだが、今日は一度当たったあとの話。
一度大ヒットとなる「代表作」ができると、その後の人生は一見楽になるように見える。
例えば作曲家なら名前が売れ、「○○(代表作)のような曲を作ってください」という依頼がたくさん来るようになるし、初対面の相手が「○○の作者さんですか!」と自分を知っている状態も多くなる。
著名になり、収入が増え、人間関係が変わり、いいことづくめに見えるが、問題はそこで人生が終わるわけではなく、その後も「ものづくり人生」は続くということ。
代表作以後の戦いの中で、過去の大当たりが徐々に呪いのように作用する様子を、僕は本当にたくさん見てきた。
以前の大当たりに対し、次の作品を更なる大ヒットで塗り替えられれば話は簡単だが、世の中はそれほど易しくはない。
代表作の当たりが大きければ大きいほど、「過去の自分を超えられない現在の自分」という絶望的な状況のフタが開くのである。
流行語大賞を取ったお笑い芸人、一度だけオリコン1位を取った音楽家、一度だけ100万部売れたマンガ家、一度だけスタンプがバカ売れしたイラストレーター、過去にテキストサイ ブログが大ヒットしたブロガー、etc...
次の作品も、次の次の作品も、いくらやっても前のヒットを超えられない。
過去を超えられない状況が続くたび、自信を失い沈んでいく心。
もがきながら戦い続けても10年や20年はあっという間に過ぎ、肉体は老化が始まる。いつの間にか「20年前にあのヒットを出した人ですか!懐かしい!」と、半ば憐れむような評価に変化する周囲。
一度手にした栄光が大きければ大きいほど、それを超えることは不可能問題に近づき、自身の自信喪失や他人からの憐れみは増す。いわるゆる等価交換なのだろう。
成功さえしなければ、こんなに沈むこともなかっただろう。
だけど、成功するためにものを作っていたのではないのか?
この呪いを受けない方法は2つある。
ひとつは初めから物を作らないこと。
そしてもう一つは
最新作=代表作となるように戦い続けること
である。
事実、10年単位でトップを走り続ける天才は世の中にいる。
だが、人間誰しも限界がある。次はより高く、次の次はさらに高くというインフレはいつかどこかで 必ず破綻するのではないか?
ものづくりは、そんな バッドエンドしか無い分岐ゲームのようなものだって事はわかっているけれど。
それでも、
最新作=代表作になればいいな、と愚かな夢を見ながら、僕は明日も物を作って生きていきたいと思う。