僕秩はてな

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僕らも金メダルを噛んでいたのかもしれない問題

 

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金メダルを噛んだ河村たかし名古屋市長が「失礼だ」として大きな話題になった。
この記事を書いている今日(8/16)も声優に抱きつくという7年前の不祥事の記事が新たに公開されている。

 

あまりにおかしい行動なので一見遠い世界のことに思えるが、これは他人事ではなく「僕たちも歳を重ねると、簡単にこうなり得るのではないか?」と感じたので今日はそれについて書いてみたい。

 

河村市長はその後の記者会見で

Q:どうしてあのような発言が出てしまったんですか?
市長:結構言いますよ。他のところでも。リラックスさせるため、フレンドリーな。

引用元:FNNプライムオンライン

と言っている。7年前の記事が出てきていることを考えても、この無礼なコミュニケーション手法は少なくとも7年以上いろいろな場所で使ってきたものなのだろう。

 

では、なぜそんなことを…?

 

 

実はあのような"無礼コミュニケーション"は、若いうちは人生の武器になることがあるからだと思う。

 

図解するとこんな具合だ。

 

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上図を簡単に解説すると、若者による「無礼コミュニケーション」は基本的に失敗する。その場合は当然社会的な罰を受けることになる。

ただ、万が一うまくいくと偉い人に気に入られたり、権力者と距離を詰めることができたりと、かなり見返りの大きいギャンブルなのだ。

このギャンブルは淡々と真面目に仕事や人間関係を築くより、かなりショートカットができるので、若いうちに何度か成功してしまうとその成功体験から同じことを続けようとする気持ちはわかる。

ただ市長が良くなかったのは、自分が出世したり年をとったりすると、全く同じ行動をとっていても状況は全く変わる。という事実に気づかなかったことである。

 

年をとった後はこんな具合だ。

 

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本人は若い時と全く同じ行動をとっているだけなのだが、 自分が偉くなってしまったため状況は激変している。

オヤジギャグが嫌われるのと同じ理由で若い時よりも好感度を得るのは難しくなっているだろうから、無礼コミュニケーションで他人と親しくなれる確率はいつの間にか激減。

結果ほぼ失敗するのだが、失敗した時に周囲の誰も無礼を注意できないので制裁を感じることができず、まるで裸の王様のような状態になってしまっているのだ。

本人は若い時と同じことをしているだけで、自らの危機に全く気づけないという悲劇。

 

  

さて、ここまでは他人事として考えてきたが、ここからが本番である。

僕らも、歳を重ねる中で同じような状況に陥っている行動があるのではないか?

本記事では、それを考えてみたい。

  

 

たとえば、特定されないようぼかして書くが、知人の女性芸能人は

10代の頃
仕事相手の目をじっと見つめることは好感度や真面目さアピール的に得だった

35歳を超えた頃
打ち合わせ中、目をそらさないのが怖い、と言われるようになった

と言っていた。若い頃に得を感じた行動をいつまでも取っていたら、いつの間にか自分の損になっている・・・あの市長と極めて似た状況に見えるのだ。

 

 

もちろん僕にもそういった行動はある。

たとえばこちらは職場で仕事をしている僕の写真だ。机からジャンプする瞬間を撮影したくてこの状態になっているが、会社員としてはダメだ。

仕事中に机に乗るヨシナガ(僕秩@dfnt)

若手会社員の頃
上司からひどく叱られる

現在
誰も叱らないため野放し状態に。人々はどんどん距離をとっていく

今や誰も注意しなくなっているので麻痺していたが、これは市長と同じなのではないか。

 

まだある。

 

部下数人と歩いている時に犬のうんちが落ちていたので興奮してフードカメラで撮影したことがあった。 

 あれも若い頃なら上司に「仕事中にうんこを撮るな!」と、きつく叱られただろうが現在は違う。

部下は「ヨシナガさん、うんこを撮影しないでください!」と言わないばかりか、「ヨシナガさんなら仕方ないな…」という感じになっていたのだ。

 

市長がメダルを噛んだ状況に酷似している…。

 

 

このような

自分の中では長年当たり前として使っていた行動が、歳を重ねるだけでアウトになりかねない

というケース。

 

みなさんも日常の中で「自分も市長のようになっている行動があるのではないか?」と考えてみると、大きな発見があるかもしれないですね。